211111

例によって通学の電車でTwitterをいじっていると、「彩度を爆上げした紅葉の写真」が取り沙汰されているのをみた。身近に絵と写真を生業にしようとしている人間がいるからか、なかなか考えこんでしまう話題だ。

宣材写真に過度な加工を施すことの是非は傍に置いて、そもそも「自分が見た世界」を真の姿だとすることの無効感は持っておくべきだと思うし、まして自分と他人が同じように世界を見ていると考えるべきでもない。彩度爆上げ写真を虚と決め込み、その撮影者が見た世界が加工された写真その通りであった可能性を思案できないようでは、表現者にはなれないと思ってしまう。その「加工」に、19世紀前半からの写真時代で絵が生き残った理由があるはずだから。